50周年記念誌
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多くの人材を育てた    部下宛のラブレター 昭和42年10月6日、1号店のフジ宇和島店が開店。その後、フジは短期間で相次いで店をオープンさせた。しばらくは資金は無論のこと、人的にも十分とは言えず、十和の惜しみないバックアップがフジ創生を支える力となった。謙造の苦労は絶えなかったが、このとき発揮されたのが素早い決断力と実行力であった。 フジが順調に成長を続ける中、謙造が一貫して行ったのは人材の育成であり、その必要性を度々社内報で語っている。「事業は人にある。一人ひとりが磨かれた玉のような素質であり、それが組織化されて動くとしたら、事業がうまくいかぬはずがない」(昭和45年3月号)。「フジを強くするためには、結局はフジの人間を強くすることしかない。フジの社員が生きていくためには、フジの業績を上げていくためには、人間の一人ひとりを強くすること」(昭和46年1月号)。 人材育成に一役買ったのが、謙造のメモである。謙造は文才があり、他のチェーン店を見て回って気付いたことや、感動したことを愛用の手帳にメモしては、それをもとに部下へのメッセージをしたためた。忙しく働く謙造のこのコミュニケーション手段は、いつしか「ラブレター」と呼ばれるようになり、受け取った人が書かれた課題を必死でこなすことで、拡大するフジを支える人材が育っていった。未来に託された    四国八十八店の夢 情熱家でありながら合理的な発想と手法でフジの創業から道標を築いた謙造は、自身の商売哲学として「商いとは売る事なり」にたどり着く。「商売とは、売る事である。商品を客が買って下さることが全てである。あらゆる行為は、そのためにある。だから販売計画を立て、商品を計画通りに売る事以上に大切なことはない」と従業員に呼びかけた。 一方で家族を愛し、海外視察では行った先々から必ず家族宛に手紙を書いた。従業員にも気さくに話しかけ、社内旅行ではアイドル歌手の新曲を披露することもあった。また視察の際には時間の許す限り美術館巡りをするなど、一流の芸術を愛する豊かな感性も持ち合わせていた。 フジのチェーン展開が着実に進む中、謙造は昭和47年8月号の社内報で「四国四県をねらえば、少なくとも八十八店はつくりたい。1、000年もの昔、弘法大師は八十八ヵ所の寺をつくっている。弘法様には負けないぞと心に誓っている」とさらなる飛躍を決意している。その矢先の10月23日、謙造は急逝する。謙造の商売の道を追求し続けた熱い魂は残された者たちに引き継がれ、半世紀近くが経った今でも従業員一人ひとりの胸にしっかりと刻まれている。謙造の言葉が集約された「商いとは売る事なり」と愛用品休日のひとときみちしるべ開店当時のフジ宇和島店の正面玄関前に立つ尾山謙造(左)と兄 悦造(右)(昭和42年)第一章軌跡History

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