50周年記念誌
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1977-19861987-19971998-20062007-20161967-1976-1966アメリカ流通機構視察団。前列中央が尾山悦造(昭和41年)日本の総人口が1億人を突破3月ビートルズが来日6月 尾山謙造から海外視察の帰国報告を受けた尾山悦造は、ますます今後の事業展開への思いを深め、自らのアメリカ視察を決心する。昭和41年2月27日、尾山悦造をはじめとする20名の「アメリカ流通機構研究会」は、13日間の流通事情視察に出発。当時の地方問屋としては画期的な海外視察であった。視察団一行はデパート、ディスカウントストア、スーパーマーケット、ショッピングセンターなどを精力的に見て回った。特に重点を置いたのはアメリカでも発展著しいロサンゼルスやサンフランシスコなどの西海岸とハワイ(ホノルル)で、この視察行程は後にフジの「西部アメリカ流通視察」として引き継がれていく。 ロサンゼルスの流通機構は、第二次世界大戦後に急速な発展を遂げつつあった。食料品、金物類、日用雑貨などは倉庫機能を兼ねた問屋と称するものがあるにはあるが、日本の問屋とはかなり違う。またアパレル産業は大資本のもとに大規模に経営されていて、巨大な資本力のあるアパレル業者が直接小売商に卸すか、地域の代理店またはメーカー直営の地方営業所に商品を供給する方法が取られており、日本のような繊維問屋は存在しない。ロサンゼルスの急激な発展が消費力に繋がり、消費者に直接販売する組織が発達したため必然的に問屋の存在価値がなくなったと考えられる。 都市の発展とともに整備された道路網は郊外への人口移動を容易にし、ベッドタウンが形成されると、そこに新しい商業が生まれた。その代表格が2月尾山悦造がアメリカ流通機構視察団に参加広島駅でのアメリカ流通機構視察団の見送り(昭和41年2月27日)アメリカ流通事情を視察する尾山悦造(昭和41年)アメリカ流通事情視察で小売業への進出を決断[昭和41年]創業前年1966
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