50周年記念誌
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10人の志が集い「十和」誕生昭和21年9月、戦後間もない広島でせり市が誕生する。当時はヤミ市が全盛で、戦時中、陸海軍の基地があった広島には、軍からの放出物資を求めて全国から人が集まってきた。尾山悦造を中心とする「五十会」は、またたく間に関西で一番大きな市へと成長し、翌昭和22年には西日本一の売上を誇っていた。ヤミ市に代わり問屋街が姿を現し始めた昭和25年春、綿製品を除くほとんどの繊維の統制が解除されることを知った尾山悦造は、同年5月18日、一緒にせり市を運営してきた10人の仲間で繊維問屋「十和織物株式会社」を設立する。社名の「十和」には、10人の同志が和を持ってスクラムを組もうという意味が込められている。TOPICS十和株式会社 社章尾山悦造 書「和」リカに比べ立ち遅れている欧州の流通機構を視察することにあった。約1ヵ月の視察旅行を通じ、欧州各国は古い歴史や国民性、二度の大戦による疲弊などが原因で流通機構が旧態依然のままであること、大都市の郊外にはサバーバン(新興住宅地)が形成され巨大なディスカウントストアが急ピッチで建設されていること、自動車保有率の高いアメリカでは大都市郊外に広い駐車場を持つショッピングセンターがあることなどを目の当たりにする。流通革命の本質に触れた尾山謙造の心情が、当時の十和社内報に記されている。 「世界経済の情勢に思いを馳せつつわが国の現況、わが国流通業界の現況、わが社の現実を見つめ、その中から何をなすべきかと結論を出さねばならない。遥かな隔たりをもって世界のトップ企業にこれ以上差をあけられてはいけないと思いながら、徹底的に忙しい毎日から抜け出すことのできないことを悟った次第である」。 問屋の存在意義を問われる時代の到来に、十和は変革の方向へと舵を切り始める。パリのエッフェル塔を背に記念撮影をする流通事情視察団一行。前列左から3人目が尾山謙造(昭和38年)5月十和社内報創刊詳細なメモが記入された尾山謙造の欧米視察手帳ごとうかい1965年︵昭和40年︶(出典:アスティ創立50周年記念誌)DATA:1965年(昭和40年)■ 総人口:9,920万9千人■ 大卒初任給:19,610円  ■ ヒット曲:柔( 美空ひばり)■ 映画:マイ・フェア・レディDATAの見方■ 総人口:国勢調査による人口■ 大卒初任給:国家公務員の初任給■ ヒット曲:日本レコード大賞 ■ 映画(洋画):アカデミー賞作品賞 ■ 映画(邦画):日本アカデミー賞作品賞 ※1978年~■ ヒット商品:ヒット商品番付の横綱(通年) ※1972年~■ 新語・流行語:「新語・流行語大賞」受賞語より抜粋 ※1984年~ ※映画はその年の授賞式で表彰された作品東海道新幹線開業東京オリンピック開幕10月1964年︵昭和39年︶1965年︵昭和40年︶名神高速道路全線開通7月朝永振一郎がノーベル物理学賞受賞10月第一章軌跡History

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