50周年記念誌
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地元関係者に粘り強く繰り返した出店交渉COLUMN 1982 フジショッピングスクエア広島店オープンまでの道のりは、決して平坦ではなかった。昭和53年9月26日、広島市内で記者会見を開き、フジ広島店開設を発表したフジは、その翌月からオープンに向けて本格的に動き出す。大規模小売店舗法の関係からまず行政当局に説明を行い、加えて消費者協会、婦人団体、周辺町内会などにフジの経営姿勢や考え方、現状などを説明して回った。しかし広島でフジを知る人はほとんどおらず、会社案内などの資料だけではまともに話を聞いてもらえなかった。そこで広島に本社を置く十和との関係をアピールし、訪問回数を重ねることで徐々に人間関係を構築。その後、松山の店舗まで足を運んでもらうことで、ようやくフジの経営姿勢などを理解してもらった。 地道に出店交渉を続けている中、昭和54年4月26日、地元商店街を守るため、広島市が大型店の出店凍結宣言を出した。フジは「店は地域とともに存在していくものである」との観点から、凍結宣言の趣旨を尊重し、出店の届出保留を決定。凍結宣言の但し書きに「地元消費者の要望の強い場合あるいは、地元商業者の発展に寄与すると考えられる場合は認める」という一文があることから、引き続き地元関係団体や地域住民などに対し、出店への理解を求める活動を続けた。苦難を乗り越え、ようやく決定した広島への出店 関係団体などとの話し合いを重ねた結果、フジは昭和55年4月22日にようやく出店を届け出る。その後、広島商工会議所で17回もの広島市商業活動調整協議会(小委員会含む)を重ね、ついに昭和56年8月28日、広島店の売場面積などが結審された。 ● 売場面積:1万3、000㎡ ● 閉店時刻:18時30分(但し年間90時間延長) ● 休業日数:年間28日 ● 開店日:昭和57年5月以降という内容は、フジショッピングスクエア駅前店(総面積7、000㎡)やフジショッピングスクエア高陽店(売場面積7、500㎡)の規模を大幅に上回っていたものの、これまでにない新しい生活提案型店舗を作ろうとしていたフジにとって満足できるものではなかった。それでも中国地区進出の拠点となる広島店出店に目処が付いたことに従業員たちは安堵した。 昭和56年9月25日、フジショッピングスクエア広島店の起工式が行われた。工事は順調に進み、開店日は昭和57年6月11日に決まった。しかし開店を前にして地元商店街から出店反対の声が上がったため、再び粘り強い説得を何度も繰り返した。広島店出店には多くの時間を費やしたが、その間、従業員たちの士気が落ちることはなかった。十和を母体に発足したフジにとって広島進出は再上陸の意味合いが強く、〝故郷へ錦を飾る〞ために是が非でも成功させたい、という思いを誰もが持っていたからだ。起工式で鍬入れをする尾山悦造社長広島再上陸の悲願を達成した広島店誕生ストーリー
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