50周年記念誌
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1977-19861987-19971998-20062007-20161967-1976-1966問屋の存在意義を求め欧米流通事情視察を実施創業前史1965[昭和40年]流通事情視察団(昭和38年) 戦後の混乱期がようやく終わりを告げようとしていた昭和25年4月1日、新聞記事で絹、人絹、スフなどほとんどの繊維製品が統制解除になったことを知った尾山悦造は、経済の仕組みが変わることを直感する。1ヵ月後の同年5月18日、悦造は当時広島でせり市を運営していた10人の仲間たちで、繊維問屋「十和織物株式会社」(現 ㈱アスティ)を設立し、自ら社長に就き指揮をとった。 戦後復興経済成長の波に乗り、昭和32年4月期には売上高10億円を突破。名実ともに西日本一の地方問屋へと成長を遂げた十和株式会社(昭和26年2月に商号変更)は、その後も順調に業績を伸ばしていく。そんな矢先、流通業界に一石を投じる一冊の書物が刊行された。昭和37年刊行の『流通革命』である。著者は東京大学助教授(当時)の林周二博士で、近代化された生産体制と旧態依然たる販売体制の間にあるギャップを早急に解消し、流通システムの合理化を図ることの必要性と、そのためには中間業者である問屋の排除が不可欠であることを訴えた。これに危機感を抱いた十和は、地方問屋の新しい役割と存在価値を模索し、社会の要請に対応できる機能を作り上げることが緊急の課題となった。そこでまず欧米諸国の流通事情を知るため、昭和38年に、取引先主催の流通事情視察への参加を決断し、そこに実弟であり、深く信頼する常務の尾山謙造を派遣したのだ。この尾山謙造こそが、後のフジ創業者となる。 1月18日に広島を出発し、2月20日に帰広するまでの34日間にわたり、香港・イタリア・スイス・西ドイツ(現 ドイツ)・イギリス・フランス・アメリカを見て回った尾山謙造の真の目的は、アメ2月十和織物㈱の商号を十和株式会社に変更1951年︵昭和26年︶4月十和の売上高が10億円を突破し︑西日本一の地方問屋に1957年︵昭和32年︶1月尾山謙造が流通事情視察団に参加1963年︵昭和38年︶じんけん朝鮮戦争勃発6月1950年︵昭和25年︶サンフランシスコ平和条約調印9月1951年︵昭和26年︶ヘルシンキオリンピック開幕7月1952年︵昭和27年︶メルボルンオリンピック開幕11月1956年︵昭和31年︶ローマオリンピック開幕8月1960年︵昭和35年︶オール日本スーパーマーケット経営協会発足7月1962年︵昭和37年︶日本リテイリングセンター設立10月1963年︵昭和38年︶5月株式会社フジの母体となる十和織物株式会社︵現 ㈱アスティ︶が広島市で設立1950年︵昭和25年︶
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