50周年記念誌
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し、共存共栄を図るという「地域の新しい秩序づくり」だったが、広島への進出は困難を極めた。フジの知名度が全くない広島では行政や地域との交渉が難航。訪問を重ね、人間関係を築き、実際に松山に足を運んでもらい店舗を見学してもらうことで、ようやくフジのことを理解してもらえるようになったという。さらに大規模小売店舗法などの制約もあり、昭和55年秋を予定していた広島店および高陽店の開設は延期された。 なお昭和55年は喜多郡内子町にフジ内子店(4月1日)、伊予市にフジ伊予店(6月1日)、東予市(現 西条市)にフジ東予店(12月4日)をオープンした。新物流センター、食品センター開設昭和54年、衣料品部門と食料品部門の両機能を備えた新しい物流センターを松山市安城寺に開設する。建物面積3,173㎡の広大な建物で、1階は衣料品の値付けと検品、食料品の在庫スペース。2階は衣料品の在庫スペースとなっている。衣料品運搬のローラーは延べ650mで各店別のラインを設置。食料品部門ではパレットラックを設置し、在庫スペースを立体化した構造になっている。いずれもスピード化への対応と作業の軽減を実現するために、フジが独自に開発した。また物流センターの奥には2階建て、建物面積3,872㎡の食品センターが建設された。熱気球フジ号、愛媛の空を飛ぶ昭和55年8月1日から6日まで、愛媛の空に初めて熱気球が飛んだ。熱気球の名前は「フジ号」で、高さ約25m、直径約18mの4人乗り。8月1日から愛媛県を主会場に開催される「第55回全国高校総合体育大会」を空から取材するために用意されたもので、宣伝媒体として活用するためにフジと地元テレビ局がタイアップして企画した。TOPICS完成当時の食品センター(昭和54年)開店当日のフジ内子店(昭和55年4月1日)1980年︵昭和55年︶DATA:1980年(昭和55年)■ 総人口:1億1,706万人■ 大卒初任給:101,600円■ ヒット曲:雨の慕情( 八代亜紀)■ 映画:クレイマー、クレイマー、復讐するは我にあり■ ヒット商品:VTR、マイコン十和本社が商工センターに移転︑営業開始1月フジ従業員持株会が発足5月十和創立30周年記念式典を開催5月㈱鈴川水産を設立5月第1回チェッカーコンテスト最終選考会10月㈱かじやまが㈱ふじい古市店を合併10月イラン・イラク戦争勃発9月4月喜多郡内子町にフジ内子店を開設6月伊予市にフジ伊予店を開設12月東予市︵当時︶にフジ東予店を開設広島東洋カープが日本一11月広島市が政令指定都市になる4月ダイエー︑国内小売業初の年商1兆円突破(2月期)2月(出典:社内報 昭和54年10月号)(出典:社内報 昭和55年9月号)モスクワオリンピック開幕︵日本はボイコット︶7月第一章軌跡History

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