50周年記念誌
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DATA■ 大卒初任給:27,906円  ■ ヒット曲:いいじゃないの幸せならば(佐良直美)■ 映画:オリバー!十和の新社屋が宝町に完成昭和43年、十和は新社屋を建設するために、広島市中区宝町にある元山陽学園の土地と建物を購入する。敷地面積は1万5,300㎡で、建物は鉄筋コンクリート造4階建て。この建物を改装してオフィス棟とし、隣に鉄筋2階建て5,450㎡の新店舗を建設。十和総合商品センターとして昭和44年5月6日から営業を開始した。新店舗には大型の発送場と倉庫を設け、配送施設は徹底的に合理化を図り、事務全般にコンピュータを導入。駐車台数430台を誇る、当時としては画期的で斬新な建物・設備であった。この宝町本店は、昭和55年5月に商工センターに新社屋が移転するまで使用された。その後、建物を改修・増築し、昭和57年10月14日にフジショッピングスクエア広島店としてオープンする。なお同店はフジグラン広島に改称された後、平成23年に建て替えられた。TOPICS宝町新社屋営業開始(昭和44年5月6日)大混雑する店内(昭和44年7月)プンの〝3段構えの開店システム〞はしばらく各店舗の開店で採用された。 尾山謙造社長はフジ本町店の開店の様子を見て、「来店客は二、三才の幼児を連れた母親、大きなお腹の主婦が多い。(中略)お腹の子供が大きくなって行く間に、その必要とする凡ゆる品物を、できる丈安く提供し続けたいものと思う。世の中が必要とする存在。店はそうでなくてはならない。地道に奉仕し続ける事こそ繁栄への途であり、商人の歩むべき道であると確信している」と語っている。 これに先立つ昭和44年2月発行の十和社内報では「フジの経営理念」と題し、「よいものを安く提供する丈ではすまされない時代が近づいている。(中略)そんな中で、絶対に変わらぬ原則は、客に対し親切であることである。(中略)〝よりよい品をより安く〞〝全ての人に親切に〞という事は我が社のテーマである。総括すると、〝豊かな暮らしを推進するフジチェーン〞ということになる」と記され、現在に通じる理念を社員たちに表明している。にぎわう店内(昭和44年7月)食肉コーナーの冷凍陳列。処理室がガラスで仕切られ、別室になっていた(昭和44年)TOPICSアメリカ西部セミナー(ペガサスクラブ主催)当時の幹部社員らが海外セミナーに参加。6月21日~7月8日の17日間でカリフォルニアとハワイを回った。ショッピングセンター(SC)1店舗あたりのリース面積は1万坪~3万6千坪あり、駐車場などの面積は10万坪近くを所有しているため、土地・建物などへの投下資本は莫大になる。SCを出て車で10分ほど走れば次のSCがあるほど乱立が進み、さらなる大型化が進んでいた。アメリカは週給制で、月~金の5日間働き、土日が休みのため、金曜に給与をもらう。1週間分の食品をまとめて買うため量が多くなり、客単価も高くなる。内容量が多く、売場の棚の陳列量も驚くほど多かった。愛媛放送︵現 テレビ愛媛︶開局12月あらだけだけ(出典:アスティ創立50周年記念誌)第一章軌跡History

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