50周年記念誌
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1967-19761977-19861987-19971998-20062007-2016-1966四国最大の都市、愛媛・松山への進出を果たす1968[昭和43年]フジ湊町店開店直後、盛況の店内(昭和43年3月17日)開店を待つ人たちで埋め尽くされた銀天街3月2月 華々しいデビューを飾ったフジ宇和島店は、その後も順調に業績を伸ばし続けた。その間、開店当時の勢いが続くようさまざまな手が打たれている。疲れが出始めた従業員の士気の高揚、お客様に来店していただくための広告、在庫を増やさない工夫、十和全体のフジ応援ムードの醸成など。尾山謙造社長はフジ宇和島店の成功から、小売店チェーン戦略の成功を確信する。その自信溢れる言葉が十和社内報に記されている。 「さて、フジ開店以来、人が住んでいれば物は売れることがわかった。問題は、人口と店のスケールの合致した、適正規模の見い出し方である。商圏に合わせ、適正規模の店をどんどん出店して行けば、幾らでも売上はあがり、収益はとれることに間違いない。要はそれを運営していく組織と人材である。組織はつくればよい。人材丈が容易につくれない。フジ第二店は、松山繁華街の中心に今春オープンする。第三店以下、無限に出店する計画はもち合わせている。出店の場所はどこでもよい。人さえあればどこでも成功させて見せる」と語っている。 ここに出てくる「フジ第二店」とは、フジ宇和島店の開店から約5ヵ月後に松山市の中心部・銀天街に3月17日にオープンしたフジ湊町店で、土地は昭和41年に1号店よりも先に確保していた。尾山謙造社長はこの店舗が今後のチェーン展開のカギを握ると考えていた。フジ湊町店の構成は1階から3階が衣料品、4階が食料品、5階が食堂で、当時松山市では珍しかったエスカレーターが設置された。オープン当日、銀天街はフジ湊町店第1回社員旅行松山市にフジ湊町店を開設日本初の超高層ビル霞が関ビル完成4月小笠原諸島が日本復帰6月だけ

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